太平洋美術会について

概要

太平洋美術会は明治22年に日本最初の洋画団体「明治美術会」として誕生。

同35年、太平洋画会と改称し、さらに昭和32年に太平洋美術会と名称を改め今日に至っています。2009年、120周年を迎えましたが、この間、幾多の英才、奇才を世に送り出し、日本近代洋画史に燦然たる足跡を残してきました。併設の太平洋美術学校(現・研究所)からも多くの才能を輩出しています。今日、多数ある美術団体の源流であり、今もこの歴史と伝統を守るとともに、新しい潮流に向けて歩み続けています。

名称一般社団法人
太平洋美術会
創立明治22年(1889)
代表者佐田 興三
所在地〒 116-0013
東京都荒川区
西日暮里3丁目7-29
TEL03-3821-4100
FAX03-3821-7319
E-MAILinfo@taiheiyobijutu.or.jp
案内図
JR山手線「西日暮里駅」徒歩5分
地下鉄千代田線「西日暮里駅」徒歩5分

シンボルマーク

シンボルマーク

昭和43年(1968)

この年、第64回太平洋展を東京都美術館で開催。

同年7月に第3回太平洋西日本支展を福岡県立文化会館で開催。

この時の招待券に、太平洋美術会のシンボルマークが印刷されているのが見られる。(太平洋美術会百年史参照)

シンボルマーク
第64回太平洋福岡展御招待券
シンボルマーク

明治36年(1903)

「第2回太平洋画会展」が「上野公園旧博覧会跡第5号館」で開催されました。この時の展覧会カタログの表紙に、本マークが使用されているのが見られます(太平洋美術会百年史参照)。

また、この表紙から「the Pacific Art Society」(太平洋美術会の意)の文字が書かれているのを読むことが出来ます。

シンボルマーク
第二回太平洋画会展カタログ
(装丁:中川八郎)

太平洋美術会案内版

シンボルマーク
荒川区 太平洋事務所入り口付近に設置

太平洋美術会は、明治35年にその前身である太平洋画会が創設されて以来、明治、大正、昭和、平成の四世代にわたる輝かしい伝統を築き上げてきた、我が国の洋画及び彫刻界における最古の歴史を誇る団体です。

明治37年に谷中清水町に洋画研究所を開設後、昭和4年に研究所を太平洋美術学校と改め、官立の学校に対抗し、在野の立場から坂本繁二郎、中村彜、高村智恵子など、幾多の英才鬼才を我が国洋画壇に送り込んできました。

昭和20年3月の戦災による校舎焼失後、会員一同の協力により、諏訪神社前のこの場所に再建され、昭和32年、名称を太平洋美術会と改め、現在に至っています。

平成7年度開始の「ディスカバーあらかわ 区内の風景画展」「荒川区を描く絵画講習会」開催など、荒川区の芸術・文化振興にも多大な貢献をされています。

平成14年に百周年を迎えた伝統あるこの団体が荒川区に本拠を構えていることは、荒川区民の誇りとするところであり、ここに太平洋美術会の足跡を記し、その功績を讃えるものであります

平成19年9月 荒川区