沿革

略史

太平洋美術会は、その前身である明治美術会の結成以来一世紀あまり明治、大正、昭和、平成の4世代にわたり輝かしい伝統を築き上げてきたわが国の洋画及び彫刻界に最古の歴史を誇る美術団体です。

明治22年小山正太郎浅井ちゅう等によって創立された「明治美術会」は同35年「太平洋画会」と改称し、当時の洋画会の新人満谷みつたに国四郎くにしろう吉田博、中川八郎、石川寅治石井柏亭はくてい大下藤次郎丸山晩霞ばんか等により、同年3月上野公園第5号館において第1回展を開催しました。こののち日本近代美術史の曙を拓いた人々です。

明治37年には谷中清水町に洋画研究所を開設し、翌年同研究所を真島町に移して後進の育成に努め、更に昭和4年には研究所を太平洋美術学校と改め(初代校長・中村不折ふせつ)官立の美術学校と対抗して、当時、在野における唯一の存在として幾多の英才鬼才をわが国洋画壇に送りました。

しかし、戦時中は美術界も受難の時代で、作家もまた国家に協力すべしという体制の下で各自戦争産業面をテーマとした制作や陳列をせざるを得ませんでした。また戦後の混乱の中で一時期、朱葉会、新構造等と連立展を組織して展覧会を続けましたが、数年にして再び太平洋独自の展覧会を開催することができました。

昭和29年には代表布施信太郎のもと第50回記念展を開催しました。この記念展に陳列された太平洋画会関係の物故作家や現代大家の作品は、黎明期以来半世紀にわたるわが国近代美術界の巨歩を示したものとして注目されました。

昭和30年、染織部を満留満、野口道方等により創設して伝統技術に新しい生命を注ぎ、翌31年には彫刻部も充実させて澤田政廣せいこう、堀進二ら斯界第一線の指導者が復帰しました。版画部は昭和47年に部会として独立し、独自の版画表現を目指しています。

この間、太平洋美術学校は昭和20年3月戦災に遭い、由緒ある校舎は焼失したため休校のやむなきに至りましたが、その後会員一同の協力によって西日暮里、諏方神社前に校舎を完成し、昭和32年11月3日堀進二代表を校長として開校、現在まで多数の在学生が勉強を続けています。その年「太平洋画会」を「太平洋美術会」と改め、昭和50年12月には社団法人として認可されました。平成16年5月当会は第100回記念展を迎え百年史を編纂刊行しました。

太平洋美術会は、平成25年1月より一般社団法人として再出発し、現在、洋画、彫刻、版画、染織の各部に会員、会友・530余名を擁して制作、発表のほか、研究所における後進の教育・指導・育成などの活動を通じてわが国美術界に寄与しています。

年譜

年月(西暦) 事項 出来事
22年(1889) 明治美術会創立。上野不忍池畔馬見所にて、第1回展覧会開催。
皇后殿下行敬。
東京美術学校開校。
憲法発布。
24年(1891) 11月、欧風絵画・彫刻の教場開設。教授・浅井忠、松岡壽、長沼守敬等。
27年(1894) 明治美術会教場より第1期生を出す。 日清戦争起こる。
29年(1896) 官立東京美術学校に西洋洋画科を設置。このために教場(明治美術会)を閉鎖。 白馬会結成。
34年(1901) 11月21日、臨時総会に於て新たに13名の会務委員を選出。その組織を一新し内容を改める。明治美術会を解散。 浪漫主義隆盛。
与謝野晶子〔みだれ髪〕。
35年(1902) 太平洋画会創立。1月委員の提案に基づき会名を太平洋画会と改称。3月20日から4月30日上野公園第五号館で第1回展覧会を開催。主な出品者は満谷國四郎、吉田博、中川八郎、石川寅治、大下藤次郎、丸山晩霞、石井柏亭、朝倉文夫、渡辺審也等。
36年(1903) 5月、五号館に於第2回展を開催。
37年(1904) 谷中清水町12願地に洋画研究所を開設。(夜間のみ)この研究所に朝倉文夫、藤井浩祐、平福百穂(日本画)等が在学。5月、五号館に於第3回展を開催。 日露戦争起こる。
38年(1905) 太平洋洋画会研究所を谷中真島町に移す。昼間、夜間の研究所として本格的な後進の育成を開始。
4月、五号館に於第4回展を開催。
日露戦争講和。
自由主義台頭。
39年(1906) 5月29日、文部大臣の認可を得て太平洋洋画会を社団法人とす。
2月、五号館に於第5回展を開催。
太平洋洋画会水彩画講習所を神田に設置。
正木直彦、黒田清輝らが、牧野大相に官展設置を建議。
40年(1907) 第1回文部省美術展覧会(通称「文展」)を開催。太平洋画会より浅井忠、松岡壽、小山正太郎、中村不折、満谷國四郎、新海竹太郎を審査員に任命。第1回文展で吉田博(三等賞)受賞。
上野公園で勧業博覧会開催のため太平洋展を中止。
浅井忠没。
東京勧業博覧会開催。
41年(1908) 5月、第6回展上野公園竹之台陳列館にて開催。
(この年から五号館より竹之台陳列館に移る) 奨励賞制定。
42年(1909) 6月第7回展を竹之台陳列館にて開催。中村彝 奨励賞。
43年(1910) 5月第8回展を竹之台陳列館にて開催。
44年(1911) 4月第9回展を竹之台陳列館にて開催。 堀進二 奨励賞。 白馬会解散。
45年(1912) 第10回展覧会開催。(於竹之台陳列館) 光風会結成。
フューザン会結成。
年月(西暦) 事項 出来事
2年(1913) 5月第11回展覧会開催。
3年(1914) 上野公園で大正展覧会のため太平洋展中止 二科会結成。
4年(1915) 3月第12回展開催。(於竹之台陳列館)
5年(1916) 第13回展覧会開催。会場を第1部、第2部に分け、第1部は従来り形式とし、第2部は初めての試みとして仏国アンデパンダン展覧会にならい自由出品室とす
6年(1917) 第14回展覧会開催。
7年(1918) 第15回展覧会開催。
※註 明治44年(第9回展)より大正7年(第15回展)まで毎年宮内省より待従、皇后官職主事を御差遣。
国画会結成。
朱葉会結成。
8年(1919) 第16回展覧会開催。中村不折帝国美術院会員に任命される。
太平洋画会賞制定。
帝国美術院創立。
9年(1920) 第17回展覧会開催。於日本橋白木屋。
10年(1921) 3月第18回展竹之台陳列館にて開催
11年(1922) 上野公園で平和博覧会開催のため、太平洋展中止。
満谷國四郎帝国美術院会員に任命される。社団法人を解く。
春陽会結成。
12年(1923) 第19回展を竹之台陳列館にて開催。 関東大震災。(9月1日)
13年(1924) 第20回展覧会開催。会員の中村彝没。 白日会結成。
14年(1925) 2月第21回展を竹之台陳列館にて開催。夏期講習会始める。
15年(1926) 1月第22回展を竹之台陳列館にて開催。
年月(西暦) 事項 出来事
2年(1927) 第23回展覧会より新築落成の東京府美術館で開催。
3年(1928) 第24回展覧会開催。
4年(1929) 第25回展覧会開催。3月3日、同展に朝香宮殿下台臨。
太平洋洋画会研究所解散。新たに太平洋美術学校と改称し開校式。
初代校長に中村不折就任。
第一美術協会結成。
5年(1930) 第26回展覧会開催。3月1日、朝香宮殿下同妃殿下。3月4日、東久邇宮殿下。3月14日、澄宮殿下台臨。 独立美術協会結成。
6年(1931) 第27回展覧会開催。最初の地方展、福岡市にて開催。 満州事変起こる。
7年(1932) 第28回展覧会開催。4月上野松坂屋にて(創立30周年記念展覧会)を開催。 東光会結成。
日本画協会結成。
8年(1933) 第29回展覧会開催。岡山市にて第2回の地方展開催。
9年(1934) 第30回展覧会開催。太平洋美術学校東京府認可の各種学校となる。
10年(1935) 第31回展覧会開催。
11年(1936) 第32回展覧会開催。満谷國四郎没。 二・二六事件。
新制作協会結成。
12年(1937) 第33回展覧会開催。 一水会結成。
13年(1938) 第34回展覧会開催。 自由美術家協会(現・自由美術協会)結成。
14年(1939) 第35回展覧会開催。
15年(1940) 第36回展覧会開催。(皇紀二千六百年奉祝) 皇紀二千六百年奉祝展開催。(文展にかわる展覧会)
創元会結成。
16年(1941) 第37回展覧会開催。 大東亜戦争起る。(12月8日)
17年(1942) 第38回展覧会開催。
18年(1943) 第39回展覧会開催。(2月)於東京府美術館。この年の12月23日から翌19年1月9日まで東京府美術館に於て、主催太平洋洋画会、読売新聞社、後援海軍省、陸軍省、軍用省、情報局による〔生産美術展覧会〕を開催。
学徒出陣。
学童疎開。
山本五十六連合艦隊司令長官の戦死。
19年(1944) 第40回展覧会開催。
中村不折没(昭和18年)後、石川寅治が太平洋美術学校校長に就任。
20年(1945) 第41回展覧会開催。同展が戦争中の最後のものであった。
3月10日、B29戦闘機による大空襲で谷中真島町の太平洋美術学校の建物は焼失。画会事務所は下落合の会員海州正太郎宅に移る。
終戦直後の初秋頃から下落合の画会事務所に在京の少数の委員達が集まり、来年の第42回展の準備を始める。
都内の大空襲。
原子爆弾投下。
8月15日敗戦。
教育勅使廃棄。
行動美術協会結成。
21年(1946) 画会事務所を駒込林町の会員・近藤洋二宅に移転。
第42回展覧会開催。(同展が戦後最初の太平洋展)
極東軍裁判開始。
新憲法公布。
22年(1947) 第43回展覧会開催。同展後の初秋に太平洋洋画会分裂。石川寅治、三上知治、奥瀬英三、鶴田五郎等多数の会員が脱会し示現会を結成。吉田博を太平洋洋画会会長に推す。
太平洋洋画会仮研究所、世田谷区経堂67田村政四郎方に置く。
二紀会結成。
共同募金。
宝くじ。
23年(1948) 第44回展覧会開催。同展から従来の名称の太平洋洋画展を〔太展〕と改称して開く。
24年(1949) 前年の〔太展〕は、分裂後最初の展覧会とあって、会員数も少なくなったことで、この年から画会単独で展覧会を開くことが不可能になり、新構造社、創造美術会、朱葉会の4団体による〔自主連立展〕(第45回展覧会)を開催。この連立展が昭和26年(1951)まで続いた。 湯川秀樹(ノーベル物理学賞)を受く。
下山事件。
立軌会結成。
25年(1950) 第46回展覧会開催。4月会長・吉田博没。 朝鮮動乱起る。
モダンアート協会結成。
26年(1951) 第47回展覧会開催。
27年(1952) 第48回展覧会開催。同展から再び太平洋洋画会単独による〔太展〕に戻り開く。
第48回展後、多々羅義雄、井口勇、早川芳彦が退会し〔光陽会〕を結成。
破防法制定。
東京国立近代美術館開館。
28年(1953) 第49回展覧会開催。 フランス美術展開催される。
29年(1954) 第50回展覧会開催。同展に〔特別室〕を設け、太平洋画会系の坂本繁二郎、中村彝、鹿子木孟朗、石井柏亭、新海竹太郎、萩原守衛、中原悌二朗、朝倉文夫、藤井浩祐等故大家及び現代大家の作品を集め陳列。〔記念展図録〕を刊行。 神武景気から所得倍増。
30年(1955) 第51回展覧会開催。染織部を創設。 新世紀美術会結成。
31年(1956) 第52回展覧会を6月開催。彫刻部の充実成り藤井、澤田、堀、山本、中野の五氏復帰する。名誉会員・坂本繁二郎が文化勲章を受章。
32年(1957) 第53回展覧会を6月開催。太平洋画会を太平洋美術会に改め太平洋美術学校を西日暮里に再建し11月3日開校式を行う。
33年(1958) 第54回展覧会6月に開催。 東京タワー完成。
34年(1959) 第55回展覧会6月に開催。 国立西洋美術館開館。
35年(1960) 第56回展覧会6月に開催。
代表・堀進二芸術院賞。
36年(1961) 第57回展覧会6月に開催。
37年(1962) 第58回展覧会6月に開催。澤田政廣芸術院会員となる。
38年(1963) 第59回展覧会6月に開催。
39年(1964) 第60回記念展として創立者物故作家の作品を特別室に陳列。 ミロのヴィナス展開催。
40年(1965) 第61回展覧会6月に開催。4月前代表・布施信太郎没。
41年(1966) 第62回展覧会6月に開催。坂本賞を制定。
42年(1967) 第63回展覧会6月に開催。秋季太平洋展を上野の森美術館にて開催。以後 5回開催。
43年(1968) 第64回展覧会6月に開催。 改組、日展。
44年(1969) 第65回展覧会6月に開催。堀進二校長辞任。杉山司七校長となる。 国立近代美術館新館完成。
45年(1970) 第66回展覧会6月に開催。 万国博覧会。(大阪にて)
46年(1971) 第67回展覧会6月に開催。 日彫展開かれる。
47年(1972) 第68回展覧会6月に開催。韓国画家の作家を特別陳列。版画部が絵画部より独立する。
48年(1973) 第69回展覧会6月に開催。
49年(1974) 第70回展覧会6月に開催。 モナ・リザ展開催される。
50年(1975) 第71回展覧会6月に開催。社団法人認可(社団法人太平洋美術会) 東京都美術館開館。
51年(1976) 第72回展覧会5月開催。
52年(1977) 第73回展覧会5月開催。
53年(1978) 第74回展覧会5月開催。3月堀進二会長没。後任会長・高橋虎之助就任。
54年(1979) 第75回展覧会5月開催。太平洋画会当時の研究所及び学校出身者にて現在有名作家の作品を招待室に陳列。名誉会員・澤田政廣文化勲章を受章。
55年(1980) 第76回展覧会5月開催。
56年(1981) 第77回展覧会5月開催。杉山司七校長辞任。椿悦至校長に就任。
57年(1982) 第78回展覧会5月開催。本会創立80年記念展とし創立者及び物故作家の作品を特別に陳列。美術学校を美術研究所に改称し所長に永島吉太郎が就任。 東北、上越新幹線開業。
500円硬貨発売。
58年(1983) 第79回展覧会5月開催。 東京都庭園美術館開館。
日本海中部地震(秋田沖)M7.7 104人死亡。
59年(1984) 1月高橋虎之助会長没す。後任会長に布施悌次郎就任。
第80回記念展覧会5月開催。韓国画家の作品を特別陳列。
第23回オリンピック開催(ロサンゼルス)
60年(1985) 第81回展覧会5月開催。 日航機群馬県御巣鷹山山中に墜落。
61年(1986) 第82回展覧会5月開催。韓国画家の作品を特別陳列。 ソ連チェルノブイリ原子力発電所で大事故。
62年(1987) 第83回展覧会5月開催。 利根川進教授ノーベル医学生理学賞受賞。
63年(1988) 第84回展覧会5月開催。5月名誉会長・澤田政廣没。会長に椿悦至就任。 世界最長・道路と鉄道併用の瀬戸大橋開通。
年月(西暦) 事項 出来事
元年(1989) 第85回展覧会5月開催。 消費税スタート。
昭和天皇崩御。
2年(1990) 第86回展覧会5月開催。 ドイツ国家統一を回復。
3年(1991) 第87回展覧会5月開催。11月に日・中・韓三国展 於、台中市文化センター。
絵画部理事出品交流する。
中村彝、中原悌二郎と友達展、於・茨城県近代美術館。
4年(1992) 鈴木克久研究所所長辞任、後任に吉城弘就任。
第88回創立90周年記念展覧会5月開催。創立90周年を祈念して布施信太郎、堀進二作品を特別展示する。
11月に日・中・韓 国際交流展 東京芸術劇場にて開催。
山形新幹線開業。
南阿蘇鉄道に日本一長い駅名「南阿蘇水の生まれる里白水高原駅」誕生。
5年(1993) 第89回展覧会5月開催。 ECizv国単―市場発足12ヵ国。
6年(1994) 第90回展覧会5月開催。
11月、日・中・韓・米・カナダ・ロシア 汎太平洋国際交流展(東京芸術劇場にて開催)
バーンズ・コレクション展、国立西洋美術館にて。
7年(1995) 第91回展覧会5月開催。
吉城弘研究所所長辞任。後任に椿悦至就任。
阪神・淡路太震災。
地下鉄サリン事件発生。
8年(1996) 第92回展覧会5月開催。 ペルーのゲリラ、日本大使館占拠数百人監禁。
9年(1997) 第93回展覧会5月開催。 香港英国から中国に返還。
10年(1998) 第94回展覧会5月開催。
太平洋美術会選抜展 新潟県栃尾市美術館にて開催。
第18回冬季オリンピック長野大会開催。
11年(1999) 第95回展覧会5月開催。
高村智恵子(旧姓長沼)が太平洋美術研究所で制作した木炭デッサン九州で発見され、記念展会場に展示する
東海村で日本初の臨界事故発生。
日本初の貨幣「富本銭」明日香村で出土。
EU統一通貨の発行。
12年(2000) 第96回展覧会5月開催。
13年(2001) 第97回展覧会5月開催。 米国で同時多発テロ発生。
14年(2002) 第98回展覧会5月開催。創立百周年記念祝賀会を上野精養軒にて開催。 ノーベル賞ダブル受賞、小栄昌俊(物理)、田中耕一(科学)。
15年(2003) 第99回展覧会5月開催。
11月椿悦至会長没す。後任会長に鈴木克久就任。
米国イラク侵攻。
16年(2004) 第100回記念展覧会5月開催。100回記念及び太平洋会百年史刊行。祝賀会上野精養軒にて開催 新潟中越地震(M6.8) 一時10万人が避難生活。
17年(2005) 第101回展覧会5月開催。 愛・地球博、愛知県で開催120カ国参加。
18年(2006) 第102回展覧会5月開催。東京都美術館最後の開催となる。
東京都美術館80周年記念事業に参加する。
WBC(野球世界一決定)日本代表発王者に。
19年(2007) 第103回展覧会5月開催。国立新美術館にて。 参議院選民主党大躍進と第1党となる。
20年(2008) 第104回展覧会5月開催。
12月鈴木克久会長辞任。後任会長に高梨潔就任。
北京オリンピック開催。
ノーヘル賞4名受賞の快挙(物理3人、化学1人)。
21年(2009) 第105回記念展覧会と併せ明治美術会から120周年を記念して特別展を5月開催。中村不折の作品等を特別展示。
高梨潔会長没す。12月澤村みちる会長に就任。
WBC日本代表優勝2連覇なる。
米オバマ大統領就任。
日本政権交代し鳩山民主党内閣誕生。
22年(2010) 第106回展覧会5月開催。 バンクーバーオリンピック開催。
23年(2011) 第107回展覧会5月開催。
開催期間中東日本大災害救援募金活動実施。
東日本大震災発生。M9地震。津波で壊滅した市街地、集落多数。
福島第一原発被災し放射能漏れ。20km圏「警戒区域」設定、住民退去。
24年(2012) 第108回展覧会5月開催。
那須連絡所から栃木連絡所に名称変更。
ロンドンオリンピック開催。
山中伸弥京大教授ノーベル賞(生理学・医学賞)受賞。
安倍内閣誕生。デフレ脱却のためのインフレ政策を施行。
25年(2013) 第109回展覧会5月開催。
一般社団法人に移行(平成25年1月4日)
(一般社団法人太平洋美術会)
26年(2014) 第110回記念展覧会5月開催。20号コーナーを新設。
特別企画丸山晩霞、吉田博作品を展示。
消費税を8%に増税。
これに伴い公共料金を一斉値上げ。
27年(2015) 第111回展覧会5月開催。
鈴木克久名誉会友逝去。
丸毛利久、清水清子の両氏を名誉会員に推挙。
広島市の土砂災害犠牲者74人。御岳山噴火による犠牲者63人と、自然災害相次ぐ。
28年(2016) 第112回展覧会5月開催 平成28年熊本地震発生。M7.3で阪神大震災と同規模。避難者は11万人にのぼった。
29年(2017) 第113回展覧会5月開催。
3月澤村みちる会長辞任、後任会長に佐田興三就任。
日本でのサミットに出席した米国オバマ大統領広島訪問、慰霊碑に献花。原爆被災者と抱擁する。
30年(2018) 第114回展覧会5月開催。
年月(西暦) 事項 出来事
元年(2019) 第115回記念展覧会5月開催。
特別展示企画。
四部の過去功績のあった中村不折、吉田博、堀進二、布施信太郎、平野富山、二科十朗、野口道方、秋山巌の作品を展示。
明治美術会130周年。
松村啓二氏を名誉会員に推挙。
天皇陛下が上皇となられ元号が令和となる。